鬱 急降下で気圧の谷ができそう。楽しさの前借をしたみたいだ
昨日友達が来てくれたので
日中すごく楽しかったのですが、
今日は朝からどんより動悸と不安感が来てしまいました。夜更かししたのもあるのかなぁ。
ただ友人はいつも通り起きて元気なので、そういう所でやっぱり弱ってる(体力落ちてる)んだな、と痛感しました。
デパス半錠を飲んで二度寝しました。一日外出すると次の日寝込んでしまうのが難点です。
昼から友人は帰るので、憂鬱な時間帯に一人時間を持てあますこととなってしまいました。(やらないといけないことはあるけど)
なんで昨日は楽しかったのを反芻すると
・午前中支援コーディネーターさんと話をした →タスクをこなせた
・なにかタスクを片づけた後、友人に会ったので心おきなく話が出来た(罪悪感なく遊ぶ事が出来た)
からだと思います。
罪悪感、ネックですね。
何か(しかも自分にとって意義があると思える事)をしないと
楽しい事をしてはいけない、ひいては生きてはいけないと思ってしまう。
私にとって趣味とかは役に立ってない、お金を稼いでないので無意味と思ってしまいます。
結局、
自立していると思えないから、何をしても楽しくないんだ、という思いです。
そういうことを考えてしまうのは、治りかけ(というか軽症)だからだと思うけど。
でも焦ってはいけないと思います。
焦ってここでフルタイムの仕事についたら、今までの過緊張がやっと解けてきたらしいのにまた、逆戻りなのはなんとなく分かります。
あと、まだ私働きたくない。まだ怖いです。
治療は三カ月区切りで見ていくそうで、主治医からはもう少し数カ月様子見かな、と言われています。それだけが免罪符。
友人は、当たり前だけど 凹む事があっても薬を飲んだりしなくて
辛い事があっても夜寝られるから。
本来それが普通なんですよね。ちょっとはっとしました。
私はずーっと、(数えてみたら7年!?)薬を飲んでいる事になります。
改めて7年!? 他に続けられたことってある!?レベルです。
日記だってそんな続けてないし。
(以下つらつら思い出した事)
支援コーディネーターさんに伝えたことで、まぁほぼ昔の親子関係から生じた
現在のひずみをどうするかって話しになるんですけど。
昔こういうことがあって、このように考える癖がついてしまってどうしても自動的にうんぬん、とか
ちょっと異常な家庭で生きてきたから、そこに適応する方法だと
通常の世界では「おかしな行動」になってしまって適応の仕方を変えないといけないがそれが難しい。(一般的な大人はすでに身につけているレベルの話なので)
かつ、発達障害なので、限られたものにしか適性がない。
とか、そういうことを話してました。
そしたら、
「もし、子供の○○(私)さんが、今話された事を私に訴えてきたら、多分虐待案件として通報も考えるレベルです」
というのがコーディネーターさんの感想でした。
「肉体的には見えないけど、精神的にすごく過酷な状況だし、実際湿疹や体調不良や抑うつといった自覚症状まであったわけですから、虐待の部類に入るんじゃないかな」
だそうです。でも、当時多分肉体的にストレス性湿疹はあっても外傷ではないし親は外面いいし、来てる服も綺麗だし、学校にも行っているので保護されないと思いました。
子供の時の私はどこに助けてって言えば良かったんでしょうね。
あ、去年色々処分する為に整理してたら小学生の時に「い書」って書いた紙があって 、もう一周回ってすごいなと思いました。
きしねんりょはやいな! 上記した薬の件を覆す歴史ですね(膝から崩れ落ちる)
その時色々思い出したんですけど、「辛い時に楽になる本」みたいなのがあって
それを読んだら、「(うろ覚え)普段の嫌な事辛い事をい書に書いて死んだふりをしてみよう、君は死体だから、返事もしなくていいし何もしなくていいんだ」って文章があってそれを実行したんだと思います。ちょっとダークだけど、保健室においてあるメンタル系の本でした。
でも嫌な事を明確に書ける位、その頃は言語能力発達してなくて
言うならば、全部が全部、辛くて書き出せなくて。
「私はもう死にたいです。 い書。」で終わってました。 不完全燃焼…!!あと「い書。」が署名みたいになってるのにじわじわきます。
まぁ、ただ、私が遺書を書いたのはその時と、大学の時なんで回数的にはセーフだと思います。
早く死にたいなぁと妄想する以外、やっぱり逃げ道はなかったような気がします。
周りに人もいないからね。
読書とゲームが私の安全な世界でした。
成績のノルマクリアできたらゲーム出来る約束なんですけど、
勉強だけは出来たから死守できました。て言っても一週間に一日、3時間くらい。
ゲームがなかったら、私はもっと早く死んでたな。無理かな。
ゲームと言ってもRPG系の、ほんとオーソドックスな世界を救う奴とか
世界の為に戦う奴とか。
とにかく、異世界に身を置いて現実から目を背ける時間が欲しかったんです。
それを、問題視する意見もあるけどさ…。
ずっと逃げられない(努力でどうにもならない)現実からは逃げてもいいと思います。
子供は自活できないし、家庭と学校が全ての場合が多いから。(習い事とかで居場所が見つかるといいですけどね。私は塾とピアノは競争社会だったんで無理)
ちなみに懐かしゲーは以下です。今はもうプレステないや。
↓大はまりしたブレスオブファイヤ5 は 世界(地下シェルター)を敵に回して自分で新たな世界(地上)を切り開く話。
ICO 生贄の男の子が偶然出会った少女の手をひいて城を脱出する話(PS3版もある)
あとはスターオーシャンシリーズとか好きでした。(プレステ版はプレミアついてますね…)
とにかく外界を遮断したかったしそれが出来て良かったです。
現実逃避は時に人を救うよ。問題を先伸ばしにしてるだけかもしれないけどね!
今日の日記は、だらだら書いたけどほんとまとまりがないですね。
失敗したかき揚げ位ばらばらですね。
まぁ、そういう精神状態なんでしょう。
もう寝たいよ…。
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今日の日記とは外れるけど
こんな風に考えてくれる親もいるんだな…と思って
伝わってなくてもこうやっていろいろと考えを巡らせてくれる親なら
子供も何かあっても軌道修正していけるような気がするよ。
「親父の背中を見て育ってくれる、なんてエゴだよなあ」 - スズコ、考える。
(引用)
どんなに愛してても、忙しく働いてお金を稼いでいても、お父さんやお母さんの気持ちは簡単には子どもたちには伝わらない。子どもたちはそんな超能力はたぶん持ってなくて。子どもたちそれぞれのフィルターを通したお父さんお母さん。自分がどんな風に見えてるのかな、って時々不安になったりもします。
言わなくても、見せなくても、わかってくれてるはずなんて親のエゴだし、結局、自分の感情を満たすための言い訳でしかないんだよなぁ。
(引用終わり)
親子関係だけでなくとも、どんな関係においても
絶対、自分は正しいんだー!!!と思ってる人より
これでいいのかな?正しかったのかな?って悩んで考えて行く人の方が
うまくいく気がするよ。(悩み過ぎて自分を責めることは別)