鬱状態で避けがちだけど人と話す事って大事かもしれん。。。
久々に大学の先輩と話しました。
私がうつと知ってくれてていてかつ、交流を持ってくれる優しい先輩です。。。頭が上がりません。
頭が上がらないんだけど、
嬉しいんだけど、どーしても私は表情が暗くなってしまうので
それが申し訳なかったです。
もっと元気になって、楽しい話が出来たらなぁ…。
色々話をしていて、どういう文脈だったか失念してしまいましたが
先輩がyahoo知恵袋で「弱者を何故抹殺しないんですか」っていう質問があってね、という話をしてくれました。
ネットで有名なのでご存じの方も多いかもしれないですね。
私は療養生活に入ってから、
リアル人間関係+ネットもテレビも断つという
どんだけ社会から断絶したいんだよという生活をしていたので
知りませんでした。
先輩の話はとても分かりやすく、ぼけた私の頭でも理解できました。
(聞いている最中、私は賢い人は説明がうまいな…この人は私のつっかえつっかえ話した事をどう思っているんだろうか、馬鹿が露見してるんじゃないか、とかいらぬことを考えていたんですが)
内容としては
自然界って弱肉強食のはずなのに、
人間社会だけは税金使って弱者(まあ、病人とか精神障害者とか子供とかお年寄りもはいるのかしら…?)を生かしている。
なぜなのか、という質問です。
弱者、という所に今の私は入っていると思います。
生産性がないから。人の役に立ってないから。
結婚して子供を産んでないから。
仕事してないから。
病気だから。理由は色々と当てはまるんですけど。
この質問者が言っているように、
「役に立たない存在(=私)は淘汰されるべき存在だ」
というような悲観的な発言を私はしていたんでしょうね。
というか絶対していたと思います。おぼろげに思い出してきました。。。
先輩は、「このベストアンサーが秀逸で評判なんだよ~」と続けました。
(※『』はyahoo知恵袋からの引用です。先輩が噛み砕いて話してくれた事を私のフィルターを通すとまた分かりにくくなるので)
『よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません。
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません。
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です。
個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます。
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます。
「適者生存」
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません。
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです。
そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです。
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります。
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り
「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです
~略~
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります。』
先輩「人間の生存戦略は多様性にあるんじゃないかなぁ~環境ってほんと、いつ何がどう変わるか分からないから、色んな種類の人間を存在させておくことで種の存在を保ってるんだよ。人間は環境が変わるってことをつい忘れてしまうけど、50年前、30年前とだって今は全然違うじゃん。求められる能力も考え方も違うじゃん?」
引用戻ります。
『「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。
遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです。
アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね。
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。
-略-
我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです。』
先輩「自分も自分の特性もその多様性の中の一つで、それだけで人類の役に立ってるって思うとちょっと気が楽にならないかなぁ?」
スケールの大きさに、しばらくぼへーっとしていましたが、
他の人と違ってても(普通の事が普通にできなくても)いいのか…
とその時は思いました。
(なんとなく、社会学か心理学の授業で聞いた、現代社会で異常とされる反社会性パーソナリティは戦場では適応するという一節を思い出しましたが、ちょっといい話を聞いた後なのでそっと記憶の引き出しにしまいました。てへ)
惑星ひとりぼっちの私でも、人類の1サンプルで
きたるべき(くるのかこないのかなんて誰にも分からない)時のために
いてていいんだ。いるべきだ。
そういうことでしょうか。
とにかく
先輩は私を元気づけようとして言ってくれたんだなということ、
私は根性論とか全く通用しない(頭でっかち)なので、
私に合わせて理詰めで説明してくれたんだということ
そういうことが、時間差で分かって、もう先輩は帰ってしまったけど
もう少しありがとうを言えばよかった、と後悔しています。
次は、元気な姿で会えるかな。。。
文の中に合った「適者生存」は痛い所ですが、
まず保険としての役割を満たしているということで今は一つ勘弁して下さい。
余談ですが、
先輩が話してくれた内容は噛み砕いてくれているんですけど
ほとんどネットの文と相違なくて、この人の記憶力どうなってんだろう…
と、改めて畏怖しました。
引用元はこっち はしょったので全文はぜひこちらで。
弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければ... - Yahoo!知恵袋