伝えることを諦めると言葉がどんどん衰退していく
最近感じていることです。
うつ(?) 不安障害になってから、
どんどん自分の考えがまとまらなくなってきました。
昔は、生きづらいながらにも「私はこう考えている!」という
軸みたいなものがあったのですが、そして少なからずそれを批判せずに
面白がってくれる人も仲間もいたのですが、
体にがたがきて、「あぁ、私はだめなのかもしれない」「間違っていたのかもしれない」と思うようになってから
アイデンティティとともに言葉がぼろぼろと形を失っている気がします。
社会のレールから外れて、何だか疲れてしまって
もういいや、なんでもいいや、私はいなくなってもいいや、
という思考がどんよりと底に溜まるようになってから、
自分という存在の確保と
「人に何かを伝える」ということを
諦めかけてしまっているんだなと思いました。
人と交流しない、社会に属さないと
自分と言う存在を主張しなくなるので
自分の考えの輪郭まであやふやになっていきます。
誰かの反射としていままで自分は生きていたので、
鏡をなくしてしまった感じです。これは他人の目を気にするうんぬんではなくて
誰かと関わるから自分の現状や現在地が分かることってあるじゃないですか。
考え方とか、生き方とか
座標点のサンプルを沢山集めて、自分の座標を大まかに知る感じ。
サンプルがないと
現状を伝えたいのに言葉が思いつかない、説明できない、
否、そもそも現状を理解できない
そんな状況に陥りやすい気がします。
ていうか陥りかけました。
そういう時は、ひたすら自分の感情を代弁してくれる
言葉や文章を集めるしかないかな、と思います。
その時は人の言葉でもいいんです。
いつか元気になった時に、他人の言葉が消化されて自分の言葉になって
出てくる。
あと、自分を諦めない (諦めがちだけど)ようにし…ます。(断言はつらい)
抽象的な話ですかね。
まだリハビリ中ということで、よろしく。