私は一休み後、希望を持つことにした

疲れたので一休みしているブログ

どうしても言語化したかった

 

ちょっと長いし、人のツイートを引用することに申し訳なさも感じるんだけど

私が感じている絶望を説明するのに必要だと感じたので書きました。

後半は結構蛇足です。

 

当然のことですが私は引用させてもらったツイートのどの意見も否定するつもりはない

し、むしろその対応について賛成の立場であることをはじめに明記します。

絶望を説明するために参考資料を出した…と捉えてもらえれば…幸いです。

 

(ちなみに引用したはなさんは個人的にブログと書籍小学生男子の取説など面白いコミックが大好きで学生時代から拝読していました。家族の闘病エッセイも読んでいました。

今回のツイートとは関係ないけど、著書のどれも面白くほろっとくることもあり、ブログも本もおすすめです。)

 

結論先に言いますが、

どうして絶望を感じているかと言うと、指摘されている人間はまさに私のような人間だからです。

 

どう思う?Aくんの恋愛事情。 - はてな匿名ダイアリー

要約する頭がないのですみません。どういう内容かと言うと

A君がBちゃんに恋をした。

うまくいきそうだったけどBちゃんはA君を振った。

新たな登場人物、Cちゃんという女の子がいて実はA君の事が好きで、傷心のA君にアタック。

めでたくA君とCちゃんというカップルが出来た。

そうしたらBちゃんが激おこ。「こんな仕打ちってない!」などと言った件に対して

なんでそうなるの?女性陣男性陣で捉え方違うの?というツイートに対して

 

Bちゃんの態度はいわゆる「人を試すめんどくさい人」「親から愛情を貰ってないから自然と人を試すような態度を取ってしまう」「なので関わらない方がよい」という意見がありました。

 

ここまでが前提。

引用は以下です。

AくんがBちゃんに恋をした。

全然疎遠だった二人がAくんの努力によってどんどん親密になっていく様は見ていて周りはニヤニヤが止まらなかった。

私からみれば、Aくんは良くやっていたし、Bちゃんも満更では成さそうだった。

そうして二人は何回かデートをするまでになった。

が、


結果Aくんは振られてしまった。

まぁ、よくある「仲良くしてたけどそんなつもりじゃなかった」的なことを言われたらしい。

Aくんに何か致命的な欠点があったのかもしれないし、Bちゃんが遊んでただけなのかもしれない。

そこは二人の考えがあっての事だから、付き合えないというなら仕方のない事だ。

ほんと、よくある話だ。周りとしてもお似合いカップルだったので残念だった。


話はここからすこし複雑になります。

ここでCちゃんという女性が出現します。

Cちゃんという女性は前々からAくんの事が好きだった。

ただ、AくんはBちゃんに恋愛感情を持っていた事を知り、影ながら想っていたらしい。

当たり前だが、Aくんは振られた後ずいぶん凹んだ。

そのときにCちゃんはその隙を狙った訳だ。

Aくんは「まだ未練が残ってるし、気持ちも切り替えれない」と断りをいれたみたいだが、

Cちゃんは「辛かったらいつでも別れてくれればいい。試しでいいよ。それでも好きだから」

という事で、Aくんは振られて一ヶ月もしないうちに新しい女性と付き合う事になった。



激怒したのはBちゃんである。LINEやskypeを使ってずいぶんと連絡を入れたらしい。

「どういうこと?こんな仕打ちってないよね?」というようなことを言っていたようだ。

結果、AくんとBちゃんが喧嘩別れのように、連絡も取り合わないようになってしまった。

 

 

 

ここからはツイッターの引用。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引用は以上です。

私も同意見で

こういう面倒くさい人がいたら、関わらない事が得策です。 

自分を犠牲にしてまで、誰か(しかも赤の他人)に尽くす必要なんて全然ないです。

私も粘着されかかった事があり、全力で逃げました。

 

で、ここからは私の感覚で纏まってない意見なんですが、

(ほとんど引用した意見と一緒の内容)

 

こういう人間(便宜上一括りにさせてください)は、多分

・相手のボロを探すために何度でもお試し行動をする→ボロが出た!裏切り者!と被害者面をする。

・無償の愛とやらが分かっていないため、ひいては善意も疑う。

 基本人間を疑う。

・でも、疑い続けるのは苦しいから誰かに粘着する。

・全く心を開かないか100%頼り切るかの両極端(距離感が分からないから)

・特に、肝っ玉母さん的な、元気なひと、明るい人、優しそうな人(引用したはなさんはネットで見る限りそんな印象を受ける)を嗅ぎ分けて、「自分のお母さん」的な役割を求めてしまう。

 ・なのに、自分に自信がないので、自分はこんなに優れている!!(=マウンティング)とひけらかすアンビバレントな性質を持つ。

 

 

…etc 特徴はいっぱいあると思うけど、この辺で。

 

でね、どうしてこれに私が反応したかっていうと

私はその「面倒くさい側」の人間であり、(親子関係が歪、人を信用できない)

気を抜けば 周りを疲弊させる性質を持っていることを自覚済みで、(寂しいし孤独だし精神は止んでるし、誰か私が頑張ってなくてもそれでいいよって言ってよ…!と思ってる)

それをなんとか治したいけど、

成人してしまっているので教育される立場でもなく、

一から治してくれる人がいるわけでもなく、

頼ると周りを疲弊させるので、頼るわけにもいかず、

自分で何とか軌道修正しながら(でもどうやって…?)

年が年だから他の成人済みで紆余曲折ありながらも健全(?)に成長した人たちと

同様の義務(勤労、結婚?育児?)を果たさないといけない

ことに絶望しているわけです。

 

あのね、対処法を非難しているわけではないのです。本当に。

私だってそんな面倒くさい人間がいたら速攻逃げる。

だって疲れるから。

 

 

(正解。その通り) 

 

それと同時に、そういう致命的な欠陥を持った人間は、その欠陥を隠して生きていかないと社会に混じれられないこと、

もしそういう側面を出したら、そっと人が離れていくことで

結局、ずーっと欲しかった無償の肯定感や安心感はずっと得られないまま

そしておかしい所を治せないまま、

なんか変だな…おかしいな、と思いつつも生きていくしかないんだな…

と思ったんです。これ野菜だったら間引かれてるレベル。そんな欠陥品。

むしろ間引いてくれ、中身は欠陥品だから。お願いだから。

 

迷惑な人間にはなりたくないんです。でも、健全にも生きられないんです。

とてもじゃないけど、私は健全な心の大らかな人間にはなれない。

なり方が分からない。クレクレばかりで誰かから何かを貰うことしか考えていない。

妬みとか恨みばっかり。

 

遊んでる子供を見たら「私は許されなかったのに憎い」と思うし

近所の幼児が構ってきても「いいよな、私は殴られてたのに。この子は優しく声をかけてもらえるんだ」と思うし、あやせないし

成績が悪くても楽しそうに生きてる(自分の好きな道に進めてる)子を見ると口では応援していても「失敗しろいつか失敗しろ」と思っていて愕然とするし

もし異性から好きと言われても(以前、間の悪い事に「いつも頑張ってる君が好き」と言われた事があって)「私の体が目当てか。それともまた私を頑張らせる気か。死ね! 恋人も家族も作るつもりなんかねーよ死ね!」と思うし

好きなように生きればと言われても「好きってなに?義務じゃなかったらもう動けないんだけど」と思うし

いい加減成人したんだから、それくらい自分でやりなよ(決めなよ) と言われた時は「うちは全部親がチェックしてたんだよ! 自由なんかねーよ! やる前に片っ端から取り上げられるんだよ!反抗する気も失せるんだよ! 逃げ道がないと思い込んだら、どんなに体は大きくても逃げられないんだよ!どうしたらいいかすら分かんないんだよ!! そんな事情も知らないくせに見下してくるなんてお前なんかいらない!」と縁をばっさり切りましたし、※そしてこれが言い訳に聞こえることも分かってる

 

とにかく、…一言で言うと「中身が酷い」。につきます。

あと、母の日、父の日のプレゼントしない発言で「どうして感謝の気持ちを持てないの!? 今まで育ててもらったんだから感謝しないとだめだよ、人として(大人として?)」と言われた時は うるさいなぁぁぁぁ!!!!お前に何が(略

 

だって、自分の中では否定と義務感か全てで、

試されることは当たり前、それをこなせないものは悪、

のんびり生きることって何? むしろどうして何もしなくても

生きていていいって思えるの?その自信はなんなの?

って、嘘じゃなく本当に思ってて、その価値観を治すには

一番下の土台の所から治さないといけない。

そこから他の人と違うんだろうなって気がする。

 という、

 

…ね、もう人と100%距離を置いた方がいいでしょ?

 

たがが外れると、強い依存状態になり、それが満たされないと分かると

もう暴言がぼろぼろ出ることは分かってるんですよ。(試す→相手を疲弊させる→裏切られた!→怒る→凹む)

そして自分の中に、普通は持たなくていい地雷がごろごろしていて

もう地雷原だってことも分かってるんです。

歩く地雷原なんです。一応「○○については触れないでね」とやんわり言ったりすることもあるけど、それでも「またまた~」みたいな感じでいじられると、般若になります。

冒頭のBちゃんのように手のひらクルーで攻撃態勢に入ります。(ちょっとケース違うけど)

で、その後自分も号泣するんですけど ※そしてそれが周りからは悲劇のヒロインぶって。。。とみられることも分かってます。分かってるからやらない。

やらなけど、それは我慢してるだけ。いつか限界が来ます。

 

閑話休題

 

ずっーと飢餓状態なんです。無償の愛(?)肯定感? 自分はこのままでいいんだという感じ? 好きなもの、好きなことを選んでいいってどういうこと?

誰か(殆ど親?)の希望にそぐわなければダメなんじゃないの?

好きなものを選ぶってどういうこと?

苦しいことを我慢して人間は生きていくんじゃないの?

ノルマをこなさないと意味がないんじゃないの?

○○が出来るから私には価値があるんでしょ!(○○が出来なくなった途端崩れる砂城)

貴方(異性でも同性でも)は私に好意を示したんだから○○してくれるよね?

私の事が好きなんでしょ、じゃあ無償の愛(?)ちょうだいよ、

私はずっとそれが欲しかったの、でも実物を見たことがないから

私がOKっていうまで私が出す欲求に耐えてね!だって私飢えてるから!

 

 

……って、それは間違いなのか。うん、なんか…おかしい気はしてた。

じゃあ私が試されてたのってどうしてなんだろう。

いやそれよりも、

どうしたら、迷惑な人間じゃなくなれるんだろう。

あ、でも私は迷惑な人間だから避けてください。トラブルの元なんで。

…でも人との関わりを勉強するには人と関わらないといけなくて、

ん?でも私は迷惑な人間なので、そっと避けられるから

私は人と関われなくて、じゃあどうやって修正していけばいいんだっけ

試行錯誤したいけど、試行錯誤したら人に迷惑がかかる。

どうしたらいいんだ…あ、詰んだ。

 

 

…ね、もう人と100%距離を置いた方がいいでしょ?(二回目)

 

 

 

抽象的で、ただ私の感覚を文にしただけだから本当に分かりにくいかもしれないけど

 

幼少期~青年期に基本的な養分(自己肯定感)が与えられず外界との関係の結び方を試行錯誤できないまま大人になってしまうと

なんていうか、

大人になったと同時にシェルターから砂漠にぽつんと放り出されたのと同じ感じで

 

空腹のまま、炎天下で

水を掘り当てる掘削機(自己肯定感を自分で出す方法)の使い方も分からず作物育てて生きろ(仕事、結婚、出産しろ)と言われているような感じなんです。

おまけに通信機の使い方(他の人との関わり方)も分からないから

助けを求めることも、知恵を借りることもできない。人と共同作業することも発想として湧かない。思いついてもどうやればいいか分からない。

でもずっとある空腹と喉の渇きは自分の責任。だって大人だから。

大人は、対処の方法を知っているはずだから。それが出来ないのは自分の責任。

分かってます。

炎天下、どんどん喉は乾く、お腹はすく、死にたい。死にかけ。

そんな時に水を一杯くれる人に出会ったとします。(通りすがりの一般礼儀的な優しさ)

わぁ!!!!この人がもしかしたら恒常的に飢えや渇きを癒してくれるのかもしれない!!!と一転絶望から希望を持ちます。

毎日その人に水を貰いに行くようになります。

だって優しくしてくれたから! この人私に優しくしてくれたから!

だから毎日水をくれるはずだ!! そうだよね!?ね!!!

 

でも場所は砂漠です。毎日水を貰いに来られるとその人だって迷惑だし、

その人の飲む水までなくなりかねません。

 

当然断られます。なんで!? じゃあ初めに水くれたの?

一般的な社交辞令? 一般的ってなに? たまにだったらいいけど…の「たま」って

どういう頻度? ねぇ本当に分からないの!!!

 

水ってどうやって手に入れるの? 掘削機?なにそれ?

多分この時点で呆れられます。

でもその人は掘削機の使い方まで懇切丁寧に教えてくれません。

つきっきりで教えてくれません。精々「説明書読んだら?」位。

だって、本来は掘削機の使い方、説明書の読み方を教えるのは

親の役割だから。その人の役割じゃないから。

 

自己肯定感や考え方の在り方をずーっとつきっきりで、無償で、面倒見てくれるのは

親(もしくはそれに当たる人)だから。

 

赤の他人は奉仕する余裕も義理も義務もないから。

 

それに私はもう大人。

誰かに懇切丁寧に教えてもらうのを待っているのは少し異様です。

良く分からないなりに、説明書読んで、間違ってても作業をするしかない。

ケガしても自己責任。

 

通信機は切ります。

だって、うまく使いこなせないから。

 

 

でもさぁ、

やっぱりこんな人間が生きられるのって

人間社会だから、ってだけだと思うんです。

多分ね、自然界ならとっくに淘汰されてる。

大多数に適応できていないし、

不良品として、食べ物も水も得られないまま死んでいく。

同じ境遇でも強さや賢さを持った個体は生き延びられるかもしれませんが

残念ながら私にはそこまでの突出したものはない。 

 

 だからね、どうしても「死」に意識が向いてしまうんです。

迷惑人間になる素質には気づいていて、気を抜けば迷惑な「加害者」になりそうで

(一方で「そういう面倒くさい人間は避けた方がいい」と言い切れる人達は、自分が面倒くさい人間になるかもしれないことをこれっぽっちも予想していないんだな、と全く嫌味ではなく、すごいなぁ、いいなぁと思うのです。人を試すっていう発想が湧かないとか、なんか根本から違う感覚を見せられた気持ちで)

でも本性を隠して生きていくにはやっぱり我慢の限界で

治すチャンスもなかなかなくて、

じゃあ、まともな人になるにはどうしたらいいのかなって

やっぱり解がでなくて

うん。

 

生きてればいいことあるよ

って、いう言葉は優しいし、その善意も分かります。

嬉しいし苦しいです。

 

今現在、問題が発生していて、

それがまったく治る見込みがなくて

治す気力もなくて

よしんば自分で自分を育てなおすにしてもやっぱりやり方が分からないのです。

 

治す気がないんだろうと言われれば、

そうかもしれません、と言うかもしれないです。

 

甘えだと言われれば、それでいいです。

 

他人を振り回す存在になる前に、無害のまま終わりたいと

思う位自由じゃないですか。

 

現実では生き死にの話はしません。

人って生き死にの話で動揺するから。どんな関係の薄い人の話でも。

 

だからネットで吐きます。

 

面倒だから避けられる人間を更生する方法、

どっかに落ちてないのなら

早く間引いてください。

 

纏まりなく終わる。