私は一休み後、希望を持つことにした

疲れたので一休みしているブログ

人と関わる不安を思い出した

私は小さい頃から都合の悪いこと?の区別がつかないのか、人の気分を害してしまうことが多いのか、そっと避けられる事の多い人間でした、多分。


多分っていうのは、なんで自分だけ無視されるのかスルーされるのかいまだに解明出来てない事があるからです。


親からも都合の悪いこと?は無視されていたし

幼稚園の頃は着ている服が違う、何か気に食わないという理由で近所の子供からは遊びに入れてもらえませんでした。

服はともかくなんか気に食わない、という理由はどうしたらいいか分からないです。


みんなの真似してるのになんでかな…

私とみんなは何が違うんだろうとずっと思って生きてきました。

それでも分からないので、疲れてプツンと切れて人と関わらないで生きていこうと思いました。


それが高校の頃。


東京に上京して、大学では友達なんて作らなくていい勉強さえしてればいいと思ってましたが、

でも友達は普通に出来ました。


大学の同じ学部ということである程度、思考は似てたのかもしれませんが、それでも多様な人がいたししょっちゅう遊ぶ友達も出来ました。

どうして今まで出来なかったんだろう…?

と不思議に、思ったんですが

大学は多種多様な人がいるから違ってても別にそこまで目立たない、その中から面白いとか気が合いそうな人を選んで付き合える

から、なんとか友達が出来たんだと思います。

私の友達は多分軒並み優しくて、私がちょっと違ってても許してくれる人たちだったんだとも思います。

普通こうだよね〜という息苦しさは感じませんでした。

ただ、喫茶店でアルバイトした時はめちゃくちゃ嫌われました。

仕事はちゃんとしてるしミスもしないけど、何か気に食わない、が多発して苛められました。

その後のコンサル会社ではそんな事はありませんでした。そこでも個性豊かな人ばかりだったけど、全然平気。

そして新卒で入った会社も平気。

個性豊かな人が多かったし、内部派閥もあったけど、何か気に食わない、という漠然とした理由で避けられたり苛められたりは全くありませんでした。ミスしたら叱られるけど、それは叱るであって、否定ではありませんでした。

意見の対立はあったかもしれないけど、もしかしたらみんなそれぞれにあいつ気に食わない、というのがあったのかもしれないけど、外には出てなかったように思います。

それに会社の人と遊びに行くことも多くて、嫌いな人間をプライベートには誘わないよなぁ…?と思いながら遊んでました。普通に楽しかったし、変わった人が多くて遊んでいると元気になれました。嫌な事は嫌!と言う人が多くて助かってたのかもしれません。

自分はこれが嫌!とアレルギー表示みたいにしてもらえると、こちらも回避できるし自分の苦手な事も暴露出来ました。暴露しても、そっかー、位の対応で、冷たくはされませんでした。例としては私は人の家に泊まる事が大の苦手なのですが、お家に遊びに行った際に泊まっていきなよーと言われたのですが、神経質で落ち着いて寝られないから帰ります、と言ったら、じゃあまたねー、で済みました。でも何回も遊びに誘って貰えました。逆に、仲良くなった(と思う)人から、一般的には女の子が好くようなある物が自分は大嫌いなんだと告白された時は、自分は話題にも出さないようにしようと心がけてました。

それでうまくやっていると思ってました。程よい距離感ってこういうことかなぁ、みたいな


あれ?

もしかして、私はちゃんと人と関われてるのかもしれない!と思いました。


退社する時も、東京にいる間期日まで何度も仲良くなった人達と会って話して、東京に来る時は連絡すること!と約束しました。それが社交辞令だとしても私は嬉しかったです。



でも、時が過ぎて地元に戻った時、はじめに転職した会社もその次もその次も高校までの時のような同じような息苦しさを感じました。密閉された水槽の中みたいな、どこにも酸素がないような、でも周りの人はすいすい泳いでいてさらに自分は混乱していくような感じです。


あれ、なんでだろう…とまた沈んでいく気がしました。

この噛み合わない感じはなんなんだろう。

どうして、常識の範囲内で動いているのにエラーが返ってくるんだろう…どこか間違ってますか、と聞いてもいや別に…と濁される。疑問だらけで毎日が過ぎていく。


二度目のプツンが来てしまいました。


そして本格的に身体を壊して、休養中、興味の度合いは減っていたけどちょっとした趣味を再開しました。


私は絶対匿名で、人のやりとりを見ているだけだったけど、ふっとネット上の集まりに参加したことでだんだんメッセージを交換するようになりました。

匿名だし、ネットだし、こちらの素性も分からないし出すつもりもないしいいや、と思って趣味について話していました。もしかしたらリハビリになるかもとも思いました。


同じ事を誰かと楽しむっていいな!と思った矢先です、そっとある人から避けられているのが分かりました。


そこで、なんとなく私が生きやすい場所生きにくい場所の特徴に気づいた気がしました。(遅い


理由は分かりませんが、というか推測するしかないのですが

同じ趣味の中でも派閥があり、私はその人があまり好きでない情報をSNSで面白いと思って流してしまったことが原因…なのかなぁ…という感じです。

大派閥→中派閥→小派閥多数 とあると思うんですが、中派閥では同じカテゴリーでも細分化するとその話題はその人にはタブーだったりするので、極力気にかけていたのですが特に明記もなかったし、普通にトリビア的なニュースとして流しました。


すると俗に言う空リプで、苦言?苦情?があったので、中派閥の面白いニュースがあったから流したけどあなたの思想を否定するつもりじゃないよ!

と、フォロー入れたけれど芳しくない様子…


多分私は小さいコミュニティーの 言わなくても分かるでしょ、という暗黙の了解が壊滅的に分からないんだと思います。

一般的なTPOを弁える、社会人としてルールを守る、位は分かるんですが個人の趣向や常識よりももっと細かい所が読めないんだと思います。


幼児〜高校までの地元(田舎)暮らしと、現在の地元での中小企業など、 ほとんど均一化された思想を持つコミュニティーの中の、常識よりももっと細かい暗黙の了解 については明文化されない限りまったく分からないから、つまはじきにされます。

 

常識ではないけどその小さなコミュニティーでは当たり前!という状態が、私には読み取れなくて理解もできなくて辛く、息抜きであるはずの趣味の場とまさにそんな感じの場所だったということです。


それは大丈夫なの…?ということがOKだったり、大丈夫だろうと思ったことがダメだったり、その基準はどこにあるの?何からできてるの?どうしてみんな分かってるの?

と、置いてけぼりになった気分です。

仕事がうまくいかないことは仕方ないかなぁーと思っていたのですが、義務ではない趣味の方の人付き合いも上手くいかないとなると、昔のように、人と関わることの恐怖みたいなのがぞわっと蘇りました。


きつく拒絶はされないのです。

だって私は常識の範囲内の中で動いてはいるから。禁止事項を破ったわけではないから。意図的に誰かを攻撃したりもしていないから。誰かにこれを説明しても、それは貴方は悪くないんじゃない?と返されるような小さな事ばかりです。でも、食い違うし歯車が合わないんです。問題が起こってるんです。


だから、やんわり外に追い出される。そっと距離を置かれる。

あの感覚、そっと不良品を選り分けるようなあの感じが、たまらなく辛いです。


私はどこで失言したんだろう、何を気に触ることをしちゃったんだろう…極力気をつけていたつもりなのに、このコミュニティーのルールが読めない分からない、分かり方が分からない、だから、治せない、一人だけ違う言語を使っているような絶望感です。


好きな様に振る舞えばいいじゃん、それはお前の個性だと東京では言ってもらえてたけれど、小さなコミュニティーではそんなことしたらわりと吊るし上げられます。

吊るすっていうか、存在を消される。


私は両親からも無視されていたので、存在をなかったことにするような対応が辛いです。


もう人には期待しないでおこう、東京と、あと一部の地元の友達とだけ仲良くしていこうと思っていたのですが、なまじ時間があるせいで趣味に打ち込み、そこで痛い目に合うのは不覚でした。


久々に、人に嫌われることの嫌な感じを思い出す出来事でした。



特にオチもないですが、懐かしくもある疎外感を体験したので書きました。


コミュニティーにいるということは、少なくとも身内認定をしているということなので、身内からそっと拒絶されるのは堪えます。

同じ事が、家族にも言えます。

私は両親が憎いのですが、赤の他人ならあんなにダメージ食らわないし喰らう前にとっとと逃げ出したと思います。

でもまだ身内と思っているから、それもできないです。



オチはありません。二回目。