私は一休み後、希望を持つことにした

疲れたので一休みしているブログ

鬱 なんか調子よくなった要因を考えてみる

 

朝から襲ってくる絶望感と

ずーーーーと、杭みたいに胸のあたりにあった焦燥感が

なんだか楽になってきたので、

波なのか(もしかしたらそう鬱なのか?)

そうでないのか、備忘録の為に描いています。

そういえばこのブログ去年の11月位から始めました。

ずっと不安障害と、うつも併発してるんじゃないのか?と疑っていた私が

本格的に通院治療+療養を始めた時期です。

と言う事は、現在で4か月弱経っているという事ですね。

 

楽になったと言っても、

怪我に例えるならやっと鎮痛剤が効いてきて、

痛みに泣く事が少なくなって、患部にはカサブタが出来始めた感じです。

まだまだ完治ではないなと思ってはいます。

でも痛くなくなって泣かない+眠れるようになったのって

すごい楽です。

 

正直いろいろ試しているので

それを列挙します。

 

現在の処方

メイラックスマイスリーデパスマイスリーデパスは頓服)

 以前の処方→パキシルCR、リフレックスサインバルタジェイゾロフト

       どれも神経が高ぶる+動悸が酷くなる(めちゃくちゃ辛い)+全く寝られない等副作用が強すぎて断念しました。

 

漢方薬 加味逍遥散(婦人科系を整える)、

     抑肝散加陳皮半夏(不安感を和らげる)

     上記の二つは、やんわり私に合っている気がします。

     いつでも24時間緊張感でがちがちだったのが、少しましな感じ。

     抑肝散加陳皮半夏を処方されなくなった時期がありましたが、その時は気分が一時的におちました。

 

(小話)

 ちなみに病院は東京で3つ、地元で3つ変えています。

 特に地元は、2つ目までの病院は、私の元々の体質が薬に敏感で効き目(副作用も)が出過ぎると訴えてはいたのですが、薬をころころ変える+増薬する、睡眠薬も強い物に変えていく、というなんだか自分がおかしくなって薬漬けにされてしまうんじゃないかという恐怖を覚えはじめたのと、「貴方はどうしたいの?」「不安障害は甘やかすと怠け病になる」など、辛い事を言われたので、二度と行くかと思って辞めました。顔を見ずに処方される薬なんて飲みたくないと思いました。

 

三つ目の病院は、私の希有な体質を理解してくれたのと、正直抗うつ剤に恐怖心があることを重く見てくれて(薬に弱くじんましんが出やすい事も理解してくれました)

まず、依存症になっているデパスの減薬とメイラックスの切り替えから治療がスタートしました。

 

デパスは短期間だといいけど、半減期が短いので私のように慢性的に不安感に駆られていた場合、がくんと落ちてしまいまた薬に手を伸ばすという悪循環に陥るそうです。メイラックス抗不安剤だけれど、半減期が長く、減薬+断薬がしやすいそうです。

「いつか、薬がいらなくなる時を考えましょう」

切り替えの時に言われた言葉ですが、そうか、いつかは私は薬なしで生活できるのだとこのお医者さんは思ってくれているんだ、と妙に感動したのを覚えています。

 

ここでの診断名も「不安障害および軽症うつ状態」です。同じ診断名ですが、処方は全然違いますね。前は適応障害社会不安障害とかも言われてたけど、大体意味合いは同じでした。

 

(小話終わり)

 

病院外での試み

 

・市のカウンセリングを受ける

 週に一回、支援センターの人に話を聞いて貰っていました。

 今までの家庭環境で辛かった事を主に話していました。

 毎回、泣いていました。よく、まぁ、幼少期からのことをつらつらと話したものだと思います。

 

・嫌な情報、嫌な人、嫌な問題から極力離れる

 私の場合、家庭環境が少し歪だったので、極力離れる方向にしました。

 家族にはお医者さんから説明もして貰ったのですが、理解を得られる事は難しい状況でした。それがまた辛かったのですが、孤独か傷つけられる方どちらがいいかを考えて離れることを選びました。

 多少金銭的援助(医療費)はしてくれています。はじめはそれを受けることすら嫌で、貯金でなんとかやっていこうと思っていましたが、カウンセラーさん、お医者さんの「貰えるものは貰っておきなさい」という言葉に甘えることにしました。

 私の場合、前年度の収入があったため、医療費の自立支援を受けられないと言われた事も要因です。(無職なら、受けられると思ったんですが…)

 それから、ネット、TV上の「○○は甘え」的な意見や「若者の就職問題」「婚活」とか、あちは悲惨なもの、見ていて辛くなる物(私が前職で関わった製品)を全てシャットアウトしました。

 厳しい趣味(バレエ)も辞めました。

 端的に言うと「逃げ」です。でもそれで別にいいじゃん。

 

・人に頼る

 私はコミュ障+地元に友達が少なく、基本ぼっちなのですが。

 上記の市のカウンセラーさん、支援コーディネーターさんに頼りまくって、時には一緒に御飯も食べて貰いました。それでもずっとつきまとう孤独感は強かったのですが、優しい人と話した日は少しだけ心穏やかに過ごせました。

 SNSは、よっぽど私の現状を理解してくれているか、逆に全く今まで連絡を取っていないけど同じ趣味を持っていた友人とだけメールで連絡を取っていました。

 

・食事について

 食べるのが辛かったので、もう経腸栄養剤「ラコール」飲んでおけばいいじゃん、

 という気持ちでいたら、もともといろんな栄養素が足りてなかったのが補充されたらしく、逆に少し楽になりました。

 その後、食べたいと思う時だけ料理をし始めました。(薬膳粥とかね)

 

・お風呂について

 マグネシウム不足が鬱をまねく、と聞いたので

 お風呂に「エプソムソルト」を入れて入ってました。

 汗っかきだったのですが、発汗作用はいまいち…。

 でもマグネシウムが取れる(らしい)ならいっか、と思って使っていました。

 

・瞑想をする

 瞑想って苦手で今もうまくできている気がしないのですが、アプリを入れて15分~20分くらいしています。

 

・気が向いた時にお絵かき、文章書き。漫画を読む。好きな動画を見る。など

 趣味さえ辛くなっていたけど、気分のいい日は過去に好きだった作品を

見返したりしていました。

 あとブログで発信する事は、私をこっそり世間と繋ぐ楽な方法です。

 自分で断絶しておいてあれですが、「社会と関わってる」という気持ちが少しあると楽です。友人が多い人は、友達と話す方がよっぽどいいかもしれませんね。

 まぁ私は私の出来ることの範囲でやるという事で。

 

・昔好きだった場所に行ってみる。

 それが私は神社だったんですけどね。高校時代の思い出の場所。

 

・いつか治るわ、って思う

 ↑これが一番難しくて、でもベースに必要だったのかもしれない。

 

……これくらいでしょうか。

ちなみに睡眠時間はまちまちだし、未だに寝つきが悪い日もあります。

今は調子いいかもしれないけど、波はあるかもしれません。

 

でも、ずっと胸に食い込んでいた「私は治らない」「未来はない」

「死ぬしかない」という、呪いの鎖か!みたいな思いが薄まって、

身体に圧し掛かってきていた漬物石みたいな絶望感がなんか軽くなって

動悸がほとんどない、っていうのは事実なんで、

それを忘れないようにしていたいのです。

 

ではでは。

 

本日も薬膳粥作ってきます。