鬱とラコールと調剤薬局
前の記事で酷い落ち込みは高熱のせい、気にしないぞ☆と書いてはいるのですが、
頭では分かっていても希死念慮は強いです。
理由としては、また
家族からの
ぼそぼそしゃべるな!とか
気の持ちようだ!とかがあって…。
で、そういうのを言うのやめて欲しい、主治医からちゃんと話を聞いて欲しいと訴えても、うるさい!
とそれ以降何を言っても無視されるので、もう死んだ方がいいんじゃないかと思いやすい状況なのが要因としてあります。
どうして今まで私はこの人たちの願望を満たすために身体悪くしながらずっと頑張ってきたんだろう、
そして治ったら治ったでこの家族から離れてもどうやってなんのために生きて行けばいいんだろう、と思いやすいんだと思います。
家族と会話する度に疲弊します。
でも無職の私は少なくとも会話しないといけないことがあって。貯金も少なくなってきて、金銭的に頼らざるを得ない…、でも近寄ると毎度のごとく罵られる。だったらいっそ絶縁するなりあると思うのですが世間体からそれはしない。
罵倒もいやですが
話しかけても無視されるのも辛いです。幼い頃はどうにかこうにか返事してもらえるように考えて話してたんですが、基本いい話しか話しか聞いて貰えないのでそれもやっぱり苦しかったです。
いい話しかしなかったことについて、今では昔はあんなに元気で優秀だったのに今は情けない!しゃんとしろ!と言われるのですが、違うよ、悲しいことも辛いこともいっぱいあったけどそれは無視したんじゃないか…と、やるせない気持ちになります。
何度も書きますが、無視って辛いです。無視という行為はまるで私が存在していないような気持ちにさせます。
失敗した私は存在しない、というか存在してはいけなかったんだと自分を責める要因になります。
無視されると自分と世界が断絶しているように思えてきます。
通信エラーなのに直せません。
私が向こうのルールを掴んで直すまで孤島にいるようです。
向こうからは直してくれません。
私が信号を発するのをやめたら最後、本当に私は一人ぼっちです。
それでもいいかな、と何度も思いました。
それって死んでるのと変わらないなとも思いました。
だったら死んだ方が苦しい辛いと感じる自分がいなくなるんだから、そっちの方がましじゃない?とも思いました。21歳を目処にしようと思ったのも12歳かそこらです。
首吊りか手首切ってお湯に浸すくらいしか考えられないのですが…。
結論はいつも保留。
書いてると暗くなってしまいました。
タイトルのことについて。
今日、調剤薬局にて。
ふと気になって、ラコール(経口栄養剤)について
これってビタミンCとか入ってるんですか?と聞いてみました。成分表示に無かった気がしたので。
薬剤師さんは、即答で
入ってますよ!と答えました。
「人間が生きるのに必要な栄養素全て入ってます。
飲めない人は胃に穴あけてそこに流し込むんですよ。完全な栄養食品です。
だから、これを飲んでいれば、」
一瞬間が空いて
「大丈夫なんですよ。」
多分薬剤師さん、一瞬の間に言葉を選んだんだと思います。
これを飲めば死ぬことはない、みたいなニュアンスを普通に普通に言ったのかなぁと。
その時はぼんやり聞いていたんですが、このレトルトカレーのパウチみたいなものに生命活動の栄養素がほとんど入っているのはなんだか不思議でした。
ラコールを温めて飲んでるんですが(パウダーで味も変えられます)
死にたいと思いつつ、命の源を飲んでいるのも不思議な感じです。
人間が生きるのに必要な栄養素が入っている、っていう言い回しも、何かよくわからないけど、泣きたくなりました。
薬剤師さんはいつも丁寧に薬の説明してくれます。
私は薬はころころ変わりませんが、
何か一言二言、この薬の効用はうんぬん的な会話をします。
大丈夫です、よく効きますよとか
こういう体質の人に合った薬です、とか。
主治医もだけどこの薬剤師さんも
患者がよくなることを信じて仕事をしてるんだ、と思うと死にたいと思ってることが少し申し訳なくなります。
ラコール飲むと、私と世間?社会?的なものを繋ぐ細い細い糸がちょっとだけ修復されます。依然細いままではあるんですが。
自殺は罪というのが一般的だし
自殺した後も霊?となって苦しむ、とかよく言われてるのですが、
生きてても死んでも辛いなんて、じゃあどうしたらいいんだろう
死ぬくらい許してくれたっていいじゃないか…と思ってしまいます。
せめて思うくらいはいいじゃん…。
後味の悪い文ですが、一旦切ります。