気付いてなくした
疲れに気付かないふりをする癖がついています。
マラソンと同じで、一度足を止めるとどっと疲れが出てしまって
なかなか呼吸が整わず、また走り出す事ができないであろうことは予測できてしまっているからです。
それと、限界値が人よりもきっと物凄く低くて、
人の「ここらへんで休憩しよっかなー」の疲労感が20%くらいだと
私の疲労感は75%くらい。時すでに遅し、もう走りきるしかない疲労感に達しているのです。
じゃあ20%くらいの所で小休止すればって話ですが、
休めない理由は一つ。
「出来ない奴と思われるのが恐怖だから」
私のペースで休憩すると、「どんだけ休んでんだお前」ってなると思うのです。(やったことないけど)
だから休むことがどんどんどんどん怖くなる。
余談ですが、ヨガや瞑想といった「雑念をなくす」行為も私にとっては
恐怖でした。以前倒れたことと、離人感が強かった時に「自分をなくす」という
感覚が恐怖としてしみついてしまっているせいです。
今では鬱に効くということでやっていますが、どうにもうまくいきません。
…今まで無視してきたせいかなぁ。
とりあえず、私は溜めに溜めこんだ疲れやら自意識やら価値感やら歪んだ認知に
押しつぶされて、立ち上がれない状態なのですが、そして、そうやって無理してきた時に得た物(唯一興味ある仕事、経験、地位、収入)は決して悪い物だけではないのですが
前者には気付きたくなくて、後者は手放したくなくて
ずっとだましだましやってきたんだと、何度も認識しています。
同じことを何回も日記に書いてごめんなさい。
壊れたレコード(死語かしら。。。)みたいにぐるぐる回っているのです。
でもとにかく、タイトル通り、前者には気付いてしまい、後者は手放す結果となりました。
あのまま無理をし続ける事は不可能だとも分かっていました。
無理をしてしまう意識の根幹の原因が根強い事にも気がついてはいました。
それを無くしていくのはとても困難に思えます。
どうしてそんなことが、という問題が私にはある気がします。
ひとまず、全てを手放して空っぽになりました。
空っぽになるのは怖いです。一瞬で、今まで判断基準がなくなるから。
何も武器がなくなるから。自分に価値はないと思ってしまうから。
社会と断絶してしまう。(あんなに一人になりたいと思っていたのに)
療養期間に入ってからも、私は何かにゆっくり首を絞められている気分です。
励ましは本当にありがたいです。励みになります。頂いたコメントは何度も読み返しています。
ただ、現実世界の、あまり事情をしらない(私の症状+原因を知らない、ただの過労だと思っている人達)からの、
少し休んだらすぐ復帰できるわよー!という、無邪気な言葉がなぜか苦しいのです。
すぐ、っていつだったらいいんだろう。
「いつ」を考えてしまう私は、まだ軽蔑されることが怖いんです。
以下、閲覧注意、胸糞漫画です。(絵描きではないので下手です。でも図にして可視化したいんです)