幸せの意味 主体性がどこにもない
他の方のブログを見て私が薄々自分で感じていることを
私には主体性がありません。
好きなもの…はあるけれど、それを目指すことは
例えば無職の技術なしの努力もしていないプーが
「俺…漫画家になる!」って言ったらどうでしょう。多分、99.999999999%無職のままです。周りもとめるはずです。血反吐はく位の努力に加え、運の世界。
私がやりたかったこととは、そういうものです。
前職ではすこーし、近いことをやりました。でも、それも体力面で諦めました。
夢もなくなりました。
もともと、夢もそこまでなかったのかもしれません。
高校時代の時にふと、私は試験の問題を解くのは得意だけど、
これって正解が作られたものを解いているだけであって、
何か新しいことをしたいとか、生み出したいとかじゃないよな。。。と思ったことがありました。
そんなの、ただのゲームじゃん。 私にとって、勉強もテレビゲームと同じでした。
ルールに従って高得点を出す。高得点が出ると嬉しい。終わり。
で、私はその時とても不安に思いました。今は優等生でいられるけれど、
これから学生じゃなくなった時、どうするんだろう。。。
そこで周りに進路を聞いてみると、「分かんないよーとりあえず○○に進むかなぁ」というレベル。
皆の曖昧さに安心して、学生のうちはそうだよね、と思ってその不安を見なかったことにしました。
まぁ、その不安は見事的中するんですけど。
何かを生み出したり、何かを考えたりすることがとても苦手で
正解のない作業がことごとく苦手。(クリエイティブ職についてたくせに)
そもそも、生きるという事に対して高校くらいから興味が薄れてきていて(当時心療内科に行きたかったけど、地図が読めない、初めての場所が分からないせいでたどり着けず断念)、
今だって、別にそんなに生きたくないし痛くないのであれば終わってもいいかな、という気分です。
根底にずっと抑圧されていた時期が長すぎて、もう何にも興味を持てない、
親への怒り以外なにもないのです。
でも、私は一人で生きていけるほど 社会に適応できないのです。
発達障害というか、ある部分では特化してるけどそれ以外のことはからっきしなのです。
あ、そういえば、家族からはっきり、私よりも家業の方が大事だと言われました。
なんだ、じゃあやっぱり私の役目は終わってるじゃん。