私は一休み後、希望を持つことにした

疲れたので一休みしているブログ

退職後、一度目の転職 (不安障害が治らないうちに復職してしまった)

つらつらと、今までの事を書いていきます。鬱で思考能力が落ち、分かりにくい文章になっていたらすみません。

また私の歪んだ認知のメガネがかかっているので、全てが客観視されているわけではありません。というか、事実を歪めているかもしれません。

私が当時感じたことを、そのまま書いていきます。

 

忙しく、華やかな業界を辞めて一カ月、私はなんだかんだ無職を満喫していました。

好きな時に寝れる。無理難題を言うクライアントに振り回されなくてすむ。日々膨大に処理していた情報の波に翻弄されなくていい。

解放感からまるまる二週間くらいは抗不安剤なしで過ごせていたんです。

身体も充分休まったと思っていました。(家族からはあまり焦らない方が…という言葉もありましたが、焦りから無視していました)

ただ、地元に帰り療養しながら仕事を探し、ある不動産の会社から内定を貰った時

突然強い不安に襲われました。

また無理するの? 身体がしんどくても働くの…?

充分休んだと思ったのに、何故かそう思ったんです。

もともと、全く興味のない業界で、勤務地も遠く(普通の人なら全然問題ない位ですが)、

電車が苦手になってしまっていた私は毎日の通勤にも不安を覚えていました。

吐き気がして、急遽内定辞退の電話をしました。

 

同時に、タイミングを計ったかのように高熱が繰り返し出始めダウン。

蕁麻疹や蓄膿症+顔面痛にも悩まされ、婦人科系も狂っていき数か月は有無を言わさず

療養することに。高熱は細菌性なのか心理的なものなのか、今は診断名を思い出せません。

ただ服用した抗生物質に負けてしまい、蕁麻疹が酷かったことはぼんやり覚えています。かかりつけの内科の先生にはすぐに抗生物質をやめるように言われました。

 

この時は、「高熱」+酷い蓄膿症という免罪符があったので

まだ休めていました。またこの時点では離職期間が長くなかったこと、すんなり内定を貰えたことが

安堵感に繋がっていたのだと思います。それに私の学歴と経歴がまだ有効なんだ、という自負もありました。

 

長引きましたが、熱や顔面痛は収まってきました。

離職して5~6か月後、就職活動を再開しました。

研究関連の経理事務の内定を貰いました。

会社の雰囲気はまあまあ良かったかと思うのですが、残業で身体を壊していた私は

その会社の残業時間を気にしていました。聞いてみたところ、割と渋られましたが

月40時間位、とのこと。普通の人なら余裕かもしれませんが、

その時の、そして今の私でも耐えられる時間ではありませんでした。

また、経理事務という未経験な仕事に対して不安感が強かったことと、

前任者が3か月で辞めるらしいということも、私の不安を増長させました。

一人で未経験の仕事をするには、私のメンタルは疲れていました。(もしかしたら社内に助けてくれる人がいたのかもしれませんが…)

結果、内定辞退。

 

もう一社、こちらも研究関連の一般事務、広報の仕事で内定を貰えました。

前職と少し似た業務もあり、こちらは残業が0ということで、待遇で上記より不安感はありましたが、入社しました。

ちなみに不安に感じていた点は以下です。

・未経験の専門的知識がいる事務

・昇給なし、賞与なし、契約社員

・全社的に、正社員が少ない

・ネットでの評判を見ると、賛否両論(まぁ当然かもですけど)

 

入社してみると、穏やかな職場ではありました。ただ、私の部の

社員の人の顔つきがなんとなく覇気がないのが気になっていました。

そして、全くと言っていいほど若い人はいませんでした。

ただし、入社前に感じていた不安点のいくつかは解消されました。

 

・未経験の専門的知識がいる事務 →一年くらいかけて覚えていってよい

・昇給なし、賞与なし、契約社員 →昇給あり、賞与もあり

 

ですが、「前任者もいることだし、いつでも聞けるし大丈夫かなぁ」と思っていた矢先、

なんと、入社すぐに前任者+上司が一斉に会社を去りました。

代わりに系列企業から別の上司が異動で来られたのですが、勝手が違うことと、

前上司(天下り的な感じ)が適当に仕事をしていたため、必要書類や手続きが

杜撰になっており、

ずーっと放置されていた仕事の期限がオーバーしていました。違約金が発生するレベルです。

企業存続の危機…は言い過ぎですけど、法務的に危うい状況だということが分かりました。

新しい上司の方は有能な方でしたが、

業務内容は全て前任者が行っていたため、(+引き継ぎ、マニュアルが一切ない)

手さぐりで何もかも進めなくてはいけなくなりました。

私は前職でのスキルを使った仕事(+一般事務)は出来ましたが、

前職以外の専門知識がいることは一切できず、マニュアルもなく、手の出しようもなく、

ネットで検索したり前任者の書類とにらめっこしつつ2か月くらいは格闘していました。というか、格闘しないといけませんでした。

自分の業務以外にも前上司の仕事をこなさないといけなくなりました。

でも企業の体質として古い部分があり、異常に厳しい書式設定?などが

後から後から出てきて

「○○と○○」と記述すると「○○及び○○」に訂正しなくてはいけなかったり(伺書、決済書から書き直し+役員の判子取り直し)

ある部分では「(1)(2)」を「(ⅰ)  (ⅱ)」にしなくてはいけなかったり、(なんで機種依存文字にするんだろう…と不可解なルールでしたが、理由は誰も知らない)

社内だし伝わればどっちでもよくね!?それよりも先に進めないといけない書類がわんさとある、いうか、初めに書式決めてよ、時間ないのに!みたいなことがしょっちゅうありました。前任者はそこのところ自己流でやっていたため、それを参考にした私は新しい上司(きっちりした性格で、それは尊敬しています)から沢山の訂正が入っていたようでした。一つの句読点の位置でも、お役所仕事的に回し、都度決定書を作成しなくてはいけませんでした。(デジタル文書では確認してもらえない+印刷で確認してもらってGOサインが出たのに、決定書の段階で付き戻される)

 

すべてがばたばたで、何度も書類を作り直し、なんとか一大プロジェクトの会議が始まりました。

・・・・・・役員、出席者、寝ていました。

書類は読まれず、企業の方向を決めるはずの会議なのに

なんの意見もないまま、司会が原稿を読み上げて会議が終わりました。

 

あれ、おかしい。会議ってこういうものじゃない。

私が前にいた民間の企業は、アイデアを出すためや、効率的に決裁するためや、

もっとこう、企業が向上するために、社員がもっとよいものを作るために

会議をしていた。居眠りするなんてありえない、意見を言わないなんてありえないのに…。この企業、どうやって採算取ってるんだろう、という疑問が湧きましたがすぐ解決しました。採算はもちろん取れていないけど(大赤字!!)、ある所からの融資で絶対に潰れないということが分かりました。

 

そして、そんな会議が何回か続いた後

なんで私は読まれもしない書類を、何度も突き返されながら作っているんだろう。。。そんな空虚な気持でいっぱいになりました。

 

部の社員の人が、ここは若い人が居付かないんだ、と言っていたのを思い出しました。多分、出世はできない(天下りの人しか役職に就けない)、仕事にやりがいがない、正社員になれない。。。だから、どんよりしていたのも、なんとなく分かります。諦めムードの方が近いかもしれません。

ただ、絶対安定はしているので、長い人は長いのです。特に中年社員の方は定着しているようでした。

 

たまりにたまった決裁会議が終わった頃、私の仕事は激減しました。

9時に出社し、12時までにすべての仕事が終わってしまいます。

休憩を除いた残りの5時間、好きにネットできるわけでもなく、

なんとなく書類を眺めて句読点の位置を気にする日々。

ここで、なぜ部の方々でやたら書式に拘るのか分かった気がしました。

少ない少ない仕事を、伸ばしのばしするためなんじゃないか、というわけです。

もちろん、部署によっては違うと思います。忙しい部署もありました。

でも私の部署ではそうではありませんでした。

何かお手伝いすることありませんかー、と仕事を探しに行っても、他の人の仕事を取る事になってしまい(その人も仕事をするふりをしていた)、有難迷惑になっていることに気付きました。

 

やることもなくぼーっと椅子にいるのは、結構つらいです。

仕事をするふりをして、句読点の位置を気にします。なんだよもう、ってなってきます。

このままでいいのかな、今までの自分のキャリアがどんどん色あせていく気がします。

これから何十年も、私は読まれない書類を作っていかないといけないのかな。

ナレッジワークとは程遠い、ぐぐってコピペの作業ばっかだけど、私はこれがやりたいのかな。職場の人と全く雰囲気が合わないけれど、なじんでいくのかな。

何のスキルもつかないけれど、それでいいのかな。

 

不安感焦燥感は雪だるま式に増えて行きます。前職とのギャップも大きすぎました。

一瞬でもクリエイティブ職に身を置いた自分は、お役所的な仕事に不安しか覚えませんでした。

 

毎晩不安で眠れなくなりました。今思うと、ちょっと落ち着けという感じです。

毎月収入はあったんだから、そこまで追い詰めなくても…とは思います。何より残業がありませんでしたし。やりがい皆無だけど。

 

抗不安剤のほかに、睡眠薬も必要になりました。毎朝胃痛で目が覚めます。

何かおかしい、と思い始めました。

通勤中に足が震えて崩れるような感じになりました。

「仕事辞めたい」と毎日思うようになりました。

会社が辛い、と思ったのはこの時初めてでした。前職では具合悪くても会社に行けば治る、という気持ちでしたし、実際仕事に没頭していれば具合の悪さは忘れていられました。

初めて仕事がつまらないってこういうことなんだ…と理解しました。

 

そうこうするうちに、掌に酷い湿疹、蕁麻疹が出来始めました。

湿疹、蕁麻疹は私の中のバロメーターで、幼少期から強いストレスがかかった時に

度々、そしてしつこくでる症状でした。全身に出始めると熱っぽくなり、倦怠感が酷くなるのです。

 

あ、辞めよう。と思いました。 身体を休めて、長く働くことが目的なのに

逆に 負担かかってるじゃないか。

 

こうして、転職一回目の企業はたった3か月で辞めることになりました。

 

それが正しかったのか、もう少し続ければ改善されたのか(企業の体質は変わらないと思うけど)分かりません。

 

でも、そこで私は、ただ残業がないだけで企業を選んではだめだ、と痛感してしまいました。。。 ちょっと贅沢かもしれませんが、メンタルが弱っているので

環境も吟味しなければいけないな、と思ったのでした。

 

言い訳劇場みたいになってしまいました。

体調を崩して退職される方は多いと思います。

そのうちの一つのエピソードということで。

 

そして、タイトルの通り、不安障害をきっちり治さずに復職したので

ふんばりが効かない状態になっていました。

今、その会社にいったら、また違っていたかもしれません。