私は一休み後、希望を持つことにした

疲れたので一休みしているブログ

発達障害を放置したらパニック障害を発症して不安障害と鬱になり人生詰みそうになってる

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いろんな人の体験談や本を読んでみて、いまいち共感できないなと思ったのは

 

発達障害 →二次的に鬱になる説明はされていても 基本 社会とのやりとりの仕方を覚えたら解決 終わり

 

パニック障害克服本 →パニック発作がでなくなれば寛かい 終わり

 

不安障害 or  鬱 上記した感じで症状でなくなれば寛かい 終わり

 

で、なんか上記の全部が複合した人の話ってあんまりなくて

私自身、パニック障害は診断されていたけれど

発達障害はずっと見落とされていたせいで 不安障害(適応障害?)も

発症していたにも関わらず、放置することになり

なんかもういろいろと悪化してしまいタイトルのようなことになっています。

 

昔は

あれー私パニック発作もう出てないけどしんどいままなのはなんでなんで??

治ったはずなのに生きづらいの…? って思っていました。

特にパニック障害の本は、投薬で症状でなくなる→やったね 終わり!

という感じで一時期読み漁っては、私もこんな風に良くなるの?ほんと?

広場恐怖も何もないのに動悸だけするよ。。。という、

置いてけぼり感がとても強かったのでした。

実際、病院からも症状でないなら卒業だよ~ と言われ、医者が良いというのなら

いいんだろうと、大学に復学し、普通に暮らしていました。

 

でも、違うんだ。根が深かったんだ。

根本から見直さなくちゃいけなかったんだ。

もう遅いのかも知れないけど、今からリハビリを始めます。

私見たいに複合的に不安障害や鬱になっている人の

支え。。。というか、参考になれば幸いです。

 

 

まず発達障害について。

 

発達障害の度合いはとても軽いと思います。

親をイラつかせるだけで、深刻な問題になったことなかったようなので。

どんなのかというと

 

幼少の頃から 人の気持ちが読めない、自分本位な行動をする

→めちゃくちゃ怒られる(本人は意味不明)

→怒られるのは嫌だから、怒られた時のパターンを覚えて回避する(意味は分かっていない)

→一見、不自由なく暮らせるようになる(中学くらいから)

→でも実際は、いつルールやパターンが変わるか分からず(俗にいう空気というもの)、ひやひやして人の顔色を伺うストレスフルな状態

→周りに人なんていなければいいのに。。。と思う日々 という感じ。

 

ただ、勉強やってれば怒られないので、ガリ勉になるも

ある日なんか不機嫌そうな母親から(この時母親が求めていた娘像との乖離に気付いていないので、突然怒られた気持ちになっている)

「なんで友達ができないの」と責められ 

「普通は○○」「普通に考えれば~」の言葉によって

唯一の盾であった「勉強ができる」という特徴も

私を守ってくれないんだ、これ以上どう外界に適応すればいいんだと絶望したのを覚えています。

友達なんて疲れるだけで勘弁してと思ってたけど、

「友達のいない私」は

母親から攻撃されるので、必死に友達いるんだよアピールする仕事が

勉強に加え日々のルーティンに追加されることになりました。

 

勉強ができ、友達もいる、お洒落な(これも追加)、今風の(これも)

ちょっと愛嬌のある()、親しみやすい()。。。

 

そんな女の子の出来上がりです。完全に虚像だけど。

一つ皿回ししたら一気に4,5個追加したレベルです。苦行です。

もちろん、無理してるのがばればれなので、親しい友人は一人も(!)できませんでした。

 

で、自分でも 実家にいることは苦痛でしかないと気付き始めたので

大学入学を切欠に一人暮らし。

本来ならばここで 解放された!晴れ晴れ!という感じでしょうが

発達障害を持ってる私にとって

一人暮らしは普通の人と比べて更に超ハードモードだったわけです。残念。

何が出来ないかと言うと、

基本、程良くする、ということが分らないので

料理 →栄養素や調味料をmg、ml単位できっちりしようとして挫折

    3食食べないといけないことだけは分かってるけど、栄養素のことが気になってノイローゼ

洗濯 →素材とか考えず洗濯機にぶちこむだけ ケバケバ

身だしなみ →素材とか分からないので季節感に合った服装ができない、好きな物しか着ない。TPOが分らない。あと地味にコートをどこで買えばいいのか分からない。

掃除 →どうやってやってたか分からない。多分、やってない。やりかた知らない

その他 時間きっちりに進まない事が多すぎて発狂しそうになる。

   (大学の講義が18時に終わったら晩御飯18時(実家のルール)に食べられなくなっちゃう!etc)

 

羅列したらキリがないので

思いだしたら書きますが、何一つ満足に出来ないまま

てゆーか多少、出来なくてもよかったんだと思うけれど、

出来ないことも許せなかった私はマッハで自信喪失していきました。

私は親がいないとなにもできないんだ。。。

 

それに加えて、実験(落とすと即留年)、難易度が跳ねあがった数学、物理の授業

毎日受験勉強以上に勉強時間を割いても、全く理解できませんでした。

だって教科書に解説載ってないんだもの。。。高校までは親切な解説のおかげで理解できていたのでした。

周りをみたら、分からん分からん言いつつもなんとかやっていたので、

やりようはあったのだと思います。

 

でも、視野が狭く完璧主義かつ発達障害の私には

誰かに頼る という発想もなかったのでした。

 

で、疲れがMAXになった冬の日、

満員電車の中で 死んでしまうような発作を起こして

救急車で運ばれます。 原因不明の心臓発作(的なもの)

 

ここから私の病院通いとタイトルのような人生が始まりました。